施術部の伊藤です。いつもスタッフブログをお読みいただきありがとうございます。
今週は毎回続いて恐縮ですが、今朝届いた致知出版社の人間力メルマガの内容に深く共感し、ぜひ皆さんにも共有したいと思ったので、以下にメルマガ記事を記載します。
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たとえお金がなくても誰かを幸せにすることができる。仏教はそういう真理を分かりやすく説いています。「何のために生きるのか」をテーマにした京セラ名誉会長の稲盛和夫さんと作家の五木寛之さんの対談は、仏教の教えから現代人の生き方を紐解き読んでいて、「なるほど」と思わせるものがあります。
『致知』創刊43周年記念キャンペーンの特典『生き方入門』から、お2人の対談の一部を紹介します。
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(稲盛)
白隠禅師は『坐禅和讃』の中で、
坐禅をして悟りを開くことも大事だけれども、お布施をしたり念仏を唱えたり懺悔をしたり、日常生活の中でそういう諸善行に勤めることも悟りに近づくもとなんだと説いていますね。
六波羅蜜という仏の教えがありますね。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、これを実践するだけでいいと私は思っているのです。
つまり布施は、人様のために一所懸命奉仕をすること。持戒は、人間としてやってはならないこと、
人様が不愉快に思うことをしないこと。忍辱は、人生における様々な困難を耐え忍ぶこと。精進は、一所懸命働くこと。禅定は心を静かに保つこと。
そういうことを地道に続けていけば、魂が磨かれ、心がきれいになり、智慧という悟りの境地にまで達することができるということです。
いまお話しになった新しい平成の仏典を通じて、せめてそういうことを多くの人が理解するようになれば、と思います。
(五木)
おっしゃる通りだと思います。そういうものは道徳であって、仏教というのはもっと高遠なものを求めるんだと考えられがちですが、
僕はやっぱり教えと実践は重なっていなければいけないと思いますね。ブッダの生涯そのものがそうでした。
いまお話しになった布施の中には、「無財の七施」(眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つの施し)というのがあって、僕は大好きなんですけれども、眼施、つまり優しい眼差しで相手をじっと見つめるということも一つの大きな布施ですから。和顔施、通りすがりにニッコリ笑って、相手の心を春風が吹いたような気持ちにしてあげることだって大きな布施でしょう。
そういうことをお坊さんが分かりやすく語って広く理解されるようになり、様々な分野に導入されていけば、世の中も随分変わってくると思います。
(限定特典『生き方入門』より)
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以上が、メルマガ記事の内容になります。皆さんはどのように感じましたでしょうか。
私は仏教をちゃんと学んだことがないので、仏教の教えはあまりよく分からないのですが、稲盛さんと五木さんの対談を読んで、メルマガのタイトルの「お金がなくても誰かを幸せにできる」ということ、つまり、『自分の心の在り方』が如何に大切か。そこを深く感じました。
特に五木さんの言葉にあった、「和顔施、通りすがりにニッコリ笑って、相手の心を春風が吹いたような気持ちにしてあげることだって大きな布施でしょう。」が、とても響きました。
また、「お布施」と言うと、『お金』のイメージが強かったですが、本当の意味は「人様のために一所懸命奉仕をすること。」だったんですね。正しく知らないというのは怖いと思いました。
この対談の一説だけでも、仏教の教えを学ばせていただけて、とてもありがたいと思いました。
そして、五木さんの「僕はやっぱり教えと実践は重なっていなければいけないと思いますね。」というお言葉、ごもっともです。教わったことは実践して、繰り返し継続していくことで習慣になる。この記事の学びを習慣にしたいと思いました。感謝です。
それから、五木さんの「そういうことをお坊さんが分かりやすく語って広く理解されるようになり、様々な分野に導入されていけば、世の中も随分変わってくると思います。」というお言葉に、とても共感しました。お坊さんが人としての心の在り方を伝える。いわゆる『寺子屋』のことですね。
自分の人生体験を通して見ても、現代社会の人間関係を見ても、いただいた尊い命を「どのように生かしていくか?」を実践するのにも、「心の在り方」が分からないと、利己的になり、争いや不幸を招く源になってしまう、と感じています。
私は、全ての尊い命の尊厳が守られ、一人一人が生き生きと自分を生かしていく世の中になることを切に願います。
そのためには、まずは自分の出来ることを自分から始めること。ということで、企業理念の「慈愛の追求」に磨きを掛けるべく、私も無銭で出来る「和顔施、ニッコリ笑って、相手の心を春風が吹いたような気持ちにしてあげること」から始めます(^^)
皆さんもご一緒にいかがですか?
大切な時間を使い、最後まで読んでくださる皆さん、いつも本当にありがとうございます。
みなさんこんにちは。いつもホームページをご覧いただきありがとうございます。
「先生が早く来るのを待っていたよ」と、ニコニコしながら出迎えてくださる患者さん。「あら、どうされましたか?」と尋ねると、採りたての栗を沢山手渡してくれました。朝、息子さん夫婦が採ってきたようで、家族と一緒に食べておいしかったので、僕にも食べて欲しいと、わざわざ袋に入れて準備してくれていました。
施術をいつも楽しみにしていてくださり、施術中は決まって「気持ちがいいなぁ、楽になるなぁ、先生と出会えて本当に良かったぁ、死ぬまでずっと来ておくれ。」と言ってくださるので、ありがたい気持ちになります。こうして心待ちにしてくださる患者さんの心に少しでも寄り添える関りを深め、健康寿命を延ばせるよう努めていきます。
甘い栗を一口食べて、ほっこりすることができました。ごちそうさまでした。
皆さんこんにちは。鴫原です。
いつもご覧くださいましてありがとうございます。
今日の話題は、本日で施術が終了となる患者(Tさん)のお話です。
最後でしたので美都子先生と一緒に、特に真心込めて対応させていただきました。
「今日もありがとうございました。ご縁をいただいて、お会いできて、本当に感謝です。」と伝えると、感極まったのか、患者さんは泣きながら、「こちらこそありがとう」と仰ってくれました。
感謝の記念に写真も撮りました。後日郵送予定です😊
旦那さんも、Tさんに「よかったな」と言っていてほっこりしました。私たちにも「お世話になりました」と言葉を頂戴して、こちらも嬉しくなりました。
帰りにお見送りして頂きましたが、涙もろいから泣いちゃったと照れ笑いしていたのがとても可愛らしかったです。
お孫さんにも、感謝とお世話になった旨の連絡をすると、「ホントひめさゆりさんには助けられました。股関節の痛みの訴えあった時のアドバイスはとても心強かったです。」というお言葉を頂戴し、とてもありがたかったです。
こうしてご縁を頂いて、患者さんの身体的・精神的苦痛、ご家族様の心配のタネを取るお手伝いが出来たこと、私たちも感謝です。
引き続き、理念に沿った対応をしていきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
施術部の伊藤です。いつもスタッフブログをお読みいただきありがとうございます。
先日、私が読んでいる(聞いている)致知出版社の人間力メルマガに素晴らしい方の記事が掲載されていたので、共有させていただきます。以下、メルマガ記事の内容です。
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75年前、7歳の少年だった藤野高明さんは、不発弾の爆発事故により、両目の視力と両手を失いました。13年間の不就学の期間を経て盲学校に入学。高校の社会科教師を目指して歩み始めます。
『致知』10月号の藤野さんのインタビューが大きな感動を呼んでいます。その冒頭の部分を本日はご紹介します。
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(──藤野さんの壮絶な半生を知って心が揺さぶられました。事故で視力や両手を失った藤野さんが多くの試練を乗り越えながら教師としての仕事を全うし、よくぞ82歳の今日まで頑張って生きてこられたと……。)
(藤野)
ありがとうございます。こうして元気で穏やかに明るく過ごしていますから、いろいろなことはあっても藤野さんは楽しく生きてきたんやな、と思う人もいらっしゃるようです。だけど、現実はその真逆ですよ。
7歳の時の不発弾の爆発事故で両目の視力と両手を失い、13年間も学校に行けずに、大学の就学も就職もままならなかった私の人生は悔しさや怒り、楽しくないことの連続でした。そんな私にとって楽しく生きるのが長い間、人生の目標だったんです。
だけど、いま思うとね、この目標はある程度達せられたのではないかと思っています。大阪の盲学校に受け入れてもらい、大学を卒業して高校教師になるという夢も叶い、30年も務めさせていただいたわけですからね。生きがいを感じる仕事をし、たくさんの生徒たちや同僚とよい人間関係を築けたのはありがたいことでした。
(──人生の喜びをいま、しみじみと噛み締められている。)
(藤野)
実は私が不慮の怪我で両目の視力と両手をなくし、今年の夏で75年の節目を迎えたものですから、
それを記念して4冊目の本を出すことにしているんです。少し書き溜めたものを纏めることにしていますが、併せてこれまでお世話になってきた方、先輩や同僚、教え子たちから寄せていただいた原稿を掲載することにしています。
350人くらいに依頼状を出して
藤野に関わった思い出とかエピソードを書いてくださいとお願いしたところ、ありがたいことに170人くらいが原稿を寄せてくださいましてね。制限字数の1400文字を遥かにオーバーしたものが
いくつもありました。
編集を手伝ってくだっている女性が「これは藤野さんの生前追悼集のようなものですね」とおっしゃっていましたけど、いろいろな人に支えられて生きてきたことに改めて感謝の思いが込み上げてきました。
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記事の内容は以上になります。いかがだったでしょうか。
藤野さんが不発弾の爆発事故により、両目の視力と両手を失ったのが7歳。私は7歳でⅠ型糖尿病を発症し、合併症の糖尿病性網膜症で網膜剥離により22歳で失明しました。人生背景は違えど、7歳で人生の岐路に立たされたことが同じだったのが心強く、勝手に御縁を感じています(^^)
実は先週、母が私に見せたい番組があると、録画していた番組に出ていたのが、この藤野高明さんでした。藤野さんの声は、とても82歳とは思えないほど若々しく、とても穏やかな優しい雰囲気の方でした。この番組を録画してくれていた母に感謝です。
苦しかった時代の藤野さんは、両手が無いことで点字が読めないからと、色々な盲学校からも入学を断られたそうです。それでも藤野さんは入学を諦めず、展示も上唇で読めるようになり念願の社会科の教師になった。本当に素晴らしいことです。
私も基本諦めない人ですが、求める心を持ち続け、諦めなければ自分の人生は輝く幸せな人生になる。その人生を創るのは自分。「自分の人生を生かすも殺すも自分次第」と改めて感じ、藤野さんに多大な勇気をいただきました。
私は、『開華』や『アチーブメント』という、自己啓発・能力開発の学びが得られる出会いをいただき、私の人生テーマは何か?を改めて考えると、「自己愛の深掘り。利他心。自分を愛で生かし切る。」と感じています。
企業理念が「慈愛の追求」と掲げているひめさゆり訪問マッサージに御縁をいただき、入社出来たことは、本当に感謝です。
お陰様で日々成長痛をいただき、葛藤しながら色々ともがいておりますが、これも輝く人生創造のため。全てに感謝し、自分磨きをしていきます!
大切な時間を使い、最後まで読んでくださる皆さん、いつも本当にありがとうございます。
ドライバー部門の田村です。
この時期になるといつも思い出す、私が 10歳頃に体験した出来事です。今日はそのお話しをしたいと思います。
皆さんは第二室戸台風をご存知でしょうか?昭和36年(1961年)、9月15日~9月17日にかけて発生した台風18号で、中心気圧が900hPa未満の猛烈な強さで、私の住む新潟でも30.7m/s(瞬間最大風速44.5m/s)など、雨よりも暴風の被害が大きかった台風です。
瞬間最大風速が45メートルと強い風が吹き荒れ、多分夜の9時頃だったと記憶しています。 弟も一緒に床についてましたが、何だか胸騒ぎがして眠い目をこすりながら、弟2人も起こし茶の間に移動すると、姉や家族も集まってました。ほんの少し雑談などしていると、風が一段と強くなってきたなと感じた瞬間です。バリバリ!と凄まじい音がして、樹齢300年の大木が倒れ、太い枝が我が家の屋根を突き破り、それが床にも刺さり穴が空き、ちょうど私たちが寝ていた所にも刺さっていました。
家族全員あ然として、暫く言葉も出ませんでした。 あのまま気づかずに寝ていたら、もしかしたら死んでいたかもと思うと、あの時目が覚め何故起きれたのかは分かりせんが、きっとご先祖様が守って下さったのだなと思わずにはいられません。頂いた命を大切にして、これからもプライベート、そして社業を通し慈愛の追求をして地域に貢献いたします。
あとで判ったことですが、第二室戸台風では、全国で死者194人、行方不明者8人、負傷者4900人を出した、歴史に残る大災害だったそうです。これから台風のシーズンが到来します。災害はいつ起きるか分かりませんので、日頃から避難の仕方や連絡手段などを、家族会議などを行い、一人ひとりが防災、減災の意識を高めておくことが大切です。ご先祖様から頂戴した、かけがえのない命です。大切に守り、命の輪を繋いでいきましょう。
最後までお読み下さり誠にありがとうございました。