無駄ではなかった8月18日の戦死 | ひめさゆり訪問マッサージ

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  • ブログ2021.08.18

    施術部の伊藤です。いつもスタッフブログをお読みいただきありがとうございます。

    8月15日は、世界で初めて原子爆弾が投下された日本の終戦記念日でした。
    本日も患者さんのお宅で、テレビから原子爆弾のことを取り上げた番組が流れていて、とても心が痛みました。
    私は戦争は経験していませんが、世界平和には心から共感しています。
    そんな中、本日届いた致知メルマガの号外メールに、福島県猪苗代町の方の記事があり考えさせられましたので、今回はその内容を投稿します。

    「無駄ではなかった8月18日の戦死」

    毎年終戦の日が近づくと、戦死した叔父のことが頭に浮かびます。昭和20年8月18日、叔父は千島列島北端占守島で戦死しました。子供の頃より、なぜポツダム宣言を受諾した後に戦って亡くならなければならなかったのか、戦いをしなければ生きて帰れたのに、と深い疑問を持ち続けました。

    しかし、『致知』2020年5月号「樋口季一郎の生き方が教えるもの」を読ませていただき、ようやく理解できました。

    ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して千島列島へ侵入してきたことに対し、北部軍司令官の樋口中将は断固反撃し、ソ連軍を撃滅せよと命じます。スターリンの狙いは北海道の占領にあったといわれます。占守島守備隊は、激戦の後ソ連軍を撃退し、その間に米軍が北海道に進駐し、ソ連は北海道の占領を諦めました。

    戦いの前、占守島戦車隊率いる池田大佐は部下に語りかけたそうです。赤穂浪士となって、恥は忍んでも将来仇を報ずるのか。白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤になるのかと。

    この問いかけに全員が白虎隊を選んだそうです。叔父は会津人で白虎隊の末裔、真っ先に問いかけに応じたと思います。

    池田大佐は上半身裸、左手に軍刀、右手に日の丸を持って先頭に立ち、ソ連軍に突入し砲弾で砕けて亡くなったそうです。

    毎年8月18日には靖国神社で戦車隊の永代神楽祭が奉奏されており、出席させていただいた際は、亡き池田大佐のご子息にお目にかかることができ感激しました。

    私の叔父は軍人ではありませんでしたが、日本を救うため懸命に戦って亡くなったのです。このような尊い犠牲により、ソ連に北海道を占領させなかったおかげで、ドイツや朝鮮半島のような分断国家にならずにすんだことを『致知』を通じて学ぶことができました。

    戦後、平和な日々が訪れましたが、礎となった人々の存在を忘れないでいただきたい。『致知』で知った8月18日の戦いの功績を、これからは誇りをもって後世に伝えていくつもりです。

    福島県在住 猪苗代町議会議長 渡辺真一郎さん(73歳)

    ――『致知』2021年9月号 連載「致知と私」より

    以上が致知メルマガの記事内容になります。終戦後の今日8月18日は、そのような戦いがあったということに驚きと感慨深いものがあります。最後の「戦後、平和な日々が訪れましたが、礎となった人々の存在を忘れないでいただきたい。」という一文は、命の重みと平和を広げていくための私たちの在り方が問われているメッセージだなと思いました。平和を守るために、私たちに出来ることは何か?を考えた時、『自分が争いの源にならないこと』だと思いました。その一番の近道は、『愛で行動すること』。だから私は、プライベートにも仕事にも、これからも「慈愛の追求」をしていきます。

    大切な時間を使い、最後まで読んでくださる皆さん、いつも本当にありがとうございます。

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