皆さんこんにちは。鴫原です。
いつもご覧くださいましてありがとうございます。
先日の記事でもありました通り、社用車のポルテが6年間の働きに幕を閉じました。
感謝の心でキレイにした状態でお別れをしようと洗車をしました。
ピカピカです^_^
そして、車屋さんに新しい社用車を取りに行く道中の事です。
大雨とカミナリ…。
一瞬、洗車したのに…切ない…と思ってしまいました。しかし、「待てよ、これはまるで祝福をされているようだな!」と考えを切り替えました。このような、ラストランなかなか経験できないと思います。
ポルテのラストラン、ガソリンもしっかり使い切れるくらいの量で走り、そして雨のためワイパーも使え、本当の本当に最後までしっかりと活躍してくれました。
本当に感謝です。私は1年半くらいお世話になりましたが、ひめさゆりの創業時から6年間、大変お疲れ様でした。
最後の運転をできて光栄でした。
次の社用車も大切に乗り、引き続き慈愛の運転を心がけていきます。
いつも最後までお読みいただきありがとうございました。
施術部の伊藤です。いつもスタッフブログをお読みいただきありがとうございます。
今週の火曜日に、私も入社してからお世話になっていた社用車Pが、土曜日(本日8月21日)でお別れになることを達ちゃんから聞きました。私は即座に「Pに謝恩会したいね。」と言いました。それは、患者さん皆さんのために、6年間よく働いてくれたPに、感謝と御礼をしたいと思ったので自然と出た言葉でした。
達っちゃんが事務所に戻ってそれを院長に話してくれたようで、院長が「伊藤先生のその発想素晴らしいね!気に入った!謝恩会やろう(^^)」と言ってくださいました。私は「良かった!」と思いました。Pの謝恩会を出来ることが嬉しかったです\(^_^)/
早速日程調整し、19日の勤務終了後、社員全員で事務所に集まり、院の開業当初から患者さんのためによく働いてくれた社用車Pの謝恩会を行ないました。お茶とお菓子をいただきながら、皆でPの色々な思い出話をしながらPの労をねぎらい、1時間半、感謝を分かち合いました。良いお別れが出来ました。帰宅する時、Pにラストランしたいと思い、達ちゃんに送迎してもらいました。有り難かったです(^^)
私も去年は、Pで移動中に施術者としての自分の未熟さに悔し涙を流したり、今年は、仕事が終わって自宅に送迎をしていただいてから、前日に起きた家族関係のことで凹んでいたところ、院長に話を聞いもらいPの車中で涙を流し、自宅の玄関前でも涙を流して、しばらく家の中に入れなかったということもありました。私の成長にも付き合ってくれた感謝深い車です。
改めて社用車Pへお礼を言います。「ひめさゆり訪問マッサージが創業してから6年間、よく働いてくれてありがとう。大変お世話になりました。本当にありがとう!ありがとう!」
大切な時間を使い、最後まで読んでくださる皆さん、いつも本当にありがとうございます。
皆さんこんにちは。鴫原です。
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先日、停車中に目撃した話です。
タクシーの運転手の方が二人乗って、発車し移動していた際、助手席側のドアが閉じていなかったのか、何が原因だったのかはわかりませんが、ドアが開き、縁石に擦っていました。
急に大きな音がしたので、目撃したときは助手席の方が慌てて閉めていたようでしたが、驚きました。
怖いなぁと思いましたが、他人事ではないです。半ドアだったりすると自分も起こす可能性はありますし、もしそこに人がいたら大怪我に繋がるので、油断やスキを作らないための教訓になりました。
発車の際は、きちんとドアが閉まっていることを確認して最大限の安全を確保していきます。
皆さんもお気をつけいただければ幸いです。
いつも最後までお読み頂きありがとうございます。
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担当している患者さんの中には、戦争体験をされた方も沢山います。今回は東京で生まれ育ち、まさにあの時東京大空襲を経験した方のお話です。
この方は脳梗塞を患い、長年住み慣れた東京を離れることを余儀なくされ、市内の老人福祉施設に入所しています。とても明るい女性で、いつも笑顔で出迎えてくださり、いろいろな話をして和ませてくれる素敵な患者さんです。
東京の深川で生まれ育ち、昭和20年3月10日の東京大空襲に合いました。まだ女学生だったこともあって、その光景は今でも鮮明に憶えているそうで、「本当に酷い空襲でね、東京が一面焼け野原になったのよ。もうね、きれいさっぱり何も無くなって、コンクリートでできていた学校とかが、あっちにぽつり、こっちにぽつりという状態だったの。ほら、殆どの民家は木造だから、あっという間に燃えちゃったのよね。でもね、お父さんが感の鋭い人で、すぐに避難したから私たち家族はみんな無事だったの。布団を頭にかぶって無我夢中で逃げたわ。両国駅が割と大きい建物だったから、その陰に隠れてしばらくいたんだけれど、お蔭で火や熱さなんかは感じなかったわね。だけどね、そこから区役所に行く道中、道端には多くのご遺体が横たわってて、見ようとしないようにしても、数が多すぎてそんなの無理よ。目に飛び込んできちゃうの。まぁ、だけど家族がみんな無事だったことが、せめてもの救いよね。戦争は本当に恐ろしいわよ。」
あまりにも凄まじい話に、僕の心の中には衝撃が走りっぱなしでした。でも74年前に現実に起きた、まぎれもない事実なのです。
先日、某テレビ局の終戦記念日の番組で、東京大空襲の特集を見ました。東京の人口の約半数が死亡した事実を知り、また、焼け野原になった写真を見た時、この患者さんの顔が浮かびました。今回の施術に伺った時に「〇〇さん、本当に大変な体験をしましたね。よくご無事で生きてこられました。今まで生きていてくれて本当にありがとう」と伝えると、とても素敵な笑顔で「あら、先生にそんなふうに言ってもらえて、私は本当に幸せだわ」と、心から喜んでくれました。
私は、こうして戦争体験の話を聞いて、それを後世に伝えることが、戦争で犠牲になられた方を悼むことに繋がると思っています。その犠牲の中に今の幸せがあるのだと、深い感謝とこれからの自分の人生の在り方を考えずにはいられません。まず、自分の心に平和の種を蒔き、行動に現わし、インサイドアウトで周りに平和の種、つまり「慈愛」を蒔き、いつか必ず「平和」という花が咲くことを心から祈り続けていこうと思いました。
この仕事は、生きる上で大切なことを、患者さんが人生の師となって教えてくださる、大変意義深い仕事です。
最後までお読みいただき、心から感謝いたします。
施術部の伊藤です。いつもスタッフブログをお読みいただきありがとうございます。
8月15日は、世界で初めて原子爆弾が投下された日本の終戦記念日でした。
本日も患者さんのお宅で、テレビから原子爆弾のことを取り上げた番組が流れていて、とても心が痛みました。
私は戦争は経験していませんが、世界平和には心から共感しています。
そんな中、本日届いた致知メルマガの号外メールに、福島県猪苗代町の方の記事があり考えさせられましたので、今回はその内容を投稿します。
「無駄ではなかった8月18日の戦死」
毎年終戦の日が近づくと、戦死した叔父のことが頭に浮かびます。昭和20年8月18日、叔父は千島列島北端占守島で戦死しました。子供の頃より、なぜポツダム宣言を受諾した後に戦って亡くならなければならなかったのか、戦いをしなければ生きて帰れたのに、と深い疑問を持ち続けました。
しかし、『致知』2020年5月号「樋口季一郎の生き方が教えるもの」を読ませていただき、ようやく理解できました。
ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して千島列島へ侵入してきたことに対し、北部軍司令官の樋口中将は断固反撃し、ソ連軍を撃滅せよと命じます。スターリンの狙いは北海道の占領にあったといわれます。占守島守備隊は、激戦の後ソ連軍を撃退し、その間に米軍が北海道に進駐し、ソ連は北海道の占領を諦めました。
戦いの前、占守島戦車隊率いる池田大佐は部下に語りかけたそうです。赤穂浪士となって、恥は忍んでも将来仇を報ずるのか。白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤になるのかと。
この問いかけに全員が白虎隊を選んだそうです。叔父は会津人で白虎隊の末裔、真っ先に問いかけに応じたと思います。
池田大佐は上半身裸、左手に軍刀、右手に日の丸を持って先頭に立ち、ソ連軍に突入し砲弾で砕けて亡くなったそうです。
毎年8月18日には靖国神社で戦車隊の永代神楽祭が奉奏されており、出席させていただいた際は、亡き池田大佐のご子息にお目にかかることができ感激しました。
私の叔父は軍人ではありませんでしたが、日本を救うため懸命に戦って亡くなったのです。このような尊い犠牲により、ソ連に北海道を占領させなかったおかげで、ドイツや朝鮮半島のような分断国家にならずにすんだことを『致知』を通じて学ぶことができました。
戦後、平和な日々が訪れましたが、礎となった人々の存在を忘れないでいただきたい。『致知』で知った8月18日の戦いの功績を、これからは誇りをもって後世に伝えていくつもりです。
福島県在住 猪苗代町議会議長 渡辺真一郎さん(73歳)
――『致知』2021年9月号 連載「致知と私」より
以上が致知メルマガの記事内容になります。終戦後の今日8月18日は、そのような戦いがあったということに驚きと感慨深いものがあります。最後の「戦後、平和な日々が訪れましたが、礎となった人々の存在を忘れないでいただきたい。」という一文は、命の重みと平和を広げていくための私たちの在り方が問われているメッセージだなと思いました。平和を守るために、私たちに出来ることは何か?を考えた時、『自分が争いの源にならないこと』だと思いました。その一番の近道は、『愛で行動すること』。だから私は、プライベートにも仕事にも、これからも「慈愛の追求」をしていきます。
大切な時間を使い、最後まで読んでくださる皆さん、いつも本当にありがとうございます。